痛みに弱くなった

 

 

ジョギングが好きで、

 

何時間も走って、足が動かなくなるまで走るのが好きでした。

 

どこまで苦しみに耐えられるか挑戦するのが好きでした。

 

苦しみ以外にも痛みに強いことが自慢でした。

 

ところが、

 

最近、めっきり痛みに弱い。

 

いいことだと思っています。

 

心が痛い時も、

 

『なんか、心が痛いなー。なんでかなぁ。』

 

と、胸に手を置いてみる。

 

ロキソニン飲んで、更に頑張っていた頃とは正反対。

 

痛みがあるから、自分が違う方向(自分が生き辛い方向)に進んでいることに気付ける。

 

休んで、自分が喜ぶことをして、

 

もし、胸の内に隠したままになっている悲しみとか苦しみがあれば、

 

少し思い出して、地球にアースする。

 

怒りたいのに怒ってないことがあれば、怒る。

 

泣きたいのに泣けてないことがあれば、泣く。

 

怒ってるのに笑っていないか、

 

泣きたいのに笑っていないか、

 

無理に笑わなくていいというか、無理して笑わない方がいいんだよ。

 

 

退屈な子ども時代

 

 

子どもの頃を思い出して、

 

よくあるような悲惨なトラウマは抜きにして、

 

とにかく、

 

『退屈だなー』と感じてたまらなかった蒸し暑い夏休み

 

そのイメージが強烈すぎて、

 

今、一番、思い出すのが、

 

強烈に退屈でつまらない

 

と感じたことです。

 

母は、あまり気にしないで、部屋の隅っこで内職をしていました。

 

怒りではないのですが、

 

退屈なことが嫌だったので、

 

娘に退屈な思いをさせるのが嫌で、

 

幼稚園に入園するまでも、自分の限界を超えて、

 

色々と連れ歩いたものです。

 

そして、夏休みが怖い・・・。

 

娘に退屈な思いをさせることが怖い・・・。

 

と、思っていたのですが、

 

ふと、思いました。

 

大人と子どもの時間の感覚がとても違う。

 

大人の1年に対して、子どもの1年は長いといいます。

 

小学6年生の頃、その話を聞いて、納得したことを覚えていますが、

 

今となっては、子どもの頃に感じていた時間の感覚を忘れてしまって、比較できません。

 

とにかく、子どもは、1時間退屈なだけでも、とても退屈なのではないでしょうか。

 

大人は、1時間くらい、家でぼーっとしていても平気だし、

 

『昼寝でもしよーっかなー』と思える。

 

でも、子どもは常に、楽しいことをしたい。

 

そして、力を使い果たしたら、お昼寝。

 

今、楽しいことをしたいし、力の限り楽しむ。

 

そんな感じなのでしょう。

 

だから、夏休み、ラジオ体操から帰ってきて、

 

教育番組を見て子供向けの番組が終わってから、昼ごはんまでが退屈でたまらなかった。

 

親からしてみれば、

 

『その辺にあるおもちゃで適当に遊んどけよ』

 

と、思ってしまいますけどね。

 

子どもの時は、おばあちゃんやおばさんちに遊びに行くと、

 

お菓子作りをさせてくれたり、工作、畑仕事、

 

色々させてくれるから、なんて素敵なんだろうと思っていました。

 

でも、毎日となると、そういうわけにもいきません。

 

普通のことでも、仕事があれば楽しかったです。

 

家事でもいいんです。

 

やり方を教えてもらって、チャレンジすることが楽しかった。

 

でも、娘は、またわたしとは興味が違うようです。

 

人に興味があり、人と関わることが大好きなようです。

 

だから、母以外の人がいる場所へ行きたいんですね。

 

そして、人と関わりたい。

 

そう思っているみたいです。

門を閉じよう

 

 

心臓はどうやって疲れてくるかというと、

 

心をパッカパカに開いて、

 

『みんなのことが大好きです。わたしの周りにはいいひとばっかりでトラブルも起こりません。トラブルが起こっても、わたしが上手な言葉で人を癒せます。』

 

『この便利なわたしをご自由にお使いください!』というキャンペーンをやっています。

 

みたいな態度を取っていると、疲れるのだと思います。

 

普通、家にも鍵をかけて、車にも鍵をかけています。

 

掛けてなくて、泥棒が入ったら・・・。強盗が入って襲われたら・・・。

 

ある意味、自己責任。

 

心も同じなのではないかな。

 

ニコニコ、困った人がいれば助け、

 

他人同士のトラブルが起こると、なぜか、『ごめん、ごめん、わたしが〇〇を~してたらからいけないんよー』なんて、

 

人のトラブルまで、自分の責任にして解決していたら、

 

心の隙に泥棒入るー!!

 

心臓を悪くしないためにも、

 

心のドアは、ちゃんと閉めて、

 

入れていいと思った時に、鍵を開ける。

 

一見、オープンマインドな人はステキ。

 

でも、ステキを貫いて心臓に負担をかけるより、ステキじゃない自分でゆとりを持って生きることを選択します。

 

身体の一部分が、極端に疲弊することって、いいことではないと思っています。

 

無理して、腰を痛めたり、無理してうつになったり、

 

『だいじょうぶですから・・・』

 

って、いい顔していても、だいじょうぶではなくて、

 

表面上、いいひとを装ったしわ寄せを身体の一部分がそれを引き受けているだけ。

 

体全体で、分け合って、一部分だけが極端に無理することのないように、

 

そのために、痛みのサインがあるのだと、認識しています。

 

『痛い』と、思ったら、生き方を調整するチャンス。

 

『だいじょうぶで。』と言って、他人の荷物まで持ってあげている場合ではない。

 

まず、自分の機嫌、自分の身体を健やかにしたい。

心臓の疲れ

 

 

半年前から体調を崩し、精神面も身体面も良くないと感じていました。

 

色々、考えて、がんじがらめだった糸をほどいていく。

 

少しずつ楽になった気もするし、

 

どうしようもない思考の癖がついてしまっていて、とても疲れてしまう自分の心に途方に暮れそうになる日もある。

 

今日、おのころ心平さんという人の記事を読んでいて思った。

 

そもそも、一番何ともないと思っていた心臓が疲れているのかな?

 

心臓が疲れて、ストレスを他へ分散したと考えると腑に落ちる。

 

とても疲れていた時に出た症状、

 

・ 上まぶたの痙攣

 

・ 右肩、右側背中の痛み

 

・ 夜中に手が痺れる(手首に無意識に内側に向かっており曲がって力がすごく入っている日があったりもする。)

 

・ 物忘れ・認知機能の低下

 

・ イライラして泣けてくる

 

『このままのスタイルでは前に進めないよ~』という身体からのメッセージだったわけですが、

 

心臓が疲れると、

 

乳房にも分散されることがあるというおのころ先生の見解。

 

乳がんが出やすいのも、

 

右は、家庭の問題が長年にわたって続いている・・・

 

左は、相手の気持ちを優先させる・・・

 

両方、当たってるがな。

 

右も左も。

 

心屋じんのすけさんという人のブログや本を読んで、

 

とにかく、色々許していくという方法で、

 

許せることを増やしてきている。

 

でも、

 

まだまだ、体調を崩したり、忙しい日が続くと、

 

ダメダメちゃんですねー。

 

自分を見失ってしまいそうになります。

 

『無理しない』

 

というのができるようになってきたけど、

 

『本当に何もしない。永久に後は全部よろしくー。』

 

というわけにもいかないので、

 

自分の心地いいリズムを取り戻すこと(楽にルーティーンをこなしているような感じのこと)

 

を、下手くそながら、失敗しながら学んでいるところ。

 

小林麻央さんのことを、

 

『内面まで美しい人』と、みんなは絶賛ですが、

 

麻央さんは、本当に素晴らしい人だと思いますし、

 

かっこいい生き方を貫かれましたが、

 

人のことをまず考えて思いやりに溢れていることというのは、

 

人によっては、場合によっては、

 

良し悪しなんじゃないかと、

 

良い面100%ではないんじゃいかと、

 

思います。

 

ある意味、

 

『なんでそんないい人なのー?』

 

と、言われるような生き方をしてきましたが(実際はそうでもないですが)、

 

40目前のある時、

 

なんか自分だけ損している気がしてきました。

 

ふと気づいてみると、

 

『少々八つ当たりしても許してくれる人』

 

『わけてくれる人』

 

『無理できるから使える人』

 

『「なんでもっと頑張ってくれないの?!!」と、より多くを期待される存在』

 

に、いつの間にかなってしまっていました。

 

『心が純粋ないい人』

 

と、褒めて、足元を見て、

 

周りの人がたかってきたり、

 

利用したり、

 

八つ当たりして、次の日はケロッとしていたり、

 

ある時まで、

 

それでもわたしは笑っていました。

 

逆に頼みごとをしても、

 

嫌な顔をちょっとでもされたら、

 

『やっぱ、いい。自分でできるかも。』

 

と、全部自分で背負い、

 

悪いことが起きたら、自分の何が足りなかったか反省し、

 

改善し、努力し、工夫してきた。

 

でも、経営ならぬ健康破たん。

 

おかしくない時にヘラヘラ笑うのをやめることから始めたのですが、

 

効果てきめんです。

 

悪い人になりました。

 

そしたら、周りの人が態度を変えて、謙虚に接してくれるようになってきました。

 

『頑張り屋さんのあなたが疲れたっていうんだから一大事だ』

 

って言っ助けてくれたり、

 

機嫌を取ってくれたり。

 

悪い人になって、わかったんです。

 

適応するって、こういうことなのか。

 

物事がうまく行かないと、

 

『もっと、善行を行わないとダメだ』

 

と、思って、無理をしてきた人生だったけど、

 

逆に、投げ出して、笑うのやめて、人に任せればいいんだ。

 

『知らんがな。』

 

と言って、人のことを放っておけばいいんだ。

 

それでも、まだしんどい生き方。

薬の使い方

 

 

風邪の効用

 

という考え方を知ってから、

 

風邪薬を飲むのを敬遠していた。

 

せっかく風邪を引いたら、自然治癒で良くなって免疫を高めたり、不要な物を熱で焼いてしまおー!!

 

と、思っていました。

 

しかし、本来の痛みを受け入れ、

 

『よしよし、この痛みにも意味があり、症状は病気を治すために必要なもの。身体が強くなっていっているぞー。』

 

なんて、のんきなことを言っていられたのも最初の一週間。

 

口内炎やら長引く風邪やらで、痛みや不快な思いで闘病しながら手抜きしながらの家事。

 

もちろん、家のことは超手抜きで、栄養状態も悪くなり、体力が落ちてきました。

 

そして、何よりイライラするし。

 

とうとう、抗生剤を飲んだ。

 

それでも、残る症状と、立て直せない家事、余裕のなさにイライラMAX。

 

そこで、お医者さんに相談したところ、

 

『もう、イライラしたら、我慢しないでロキソプロフェンを飲みなさいよ。そして、痛みを誤魔化してる間に立て直したほうがいいんじゃないの?』

 

とのこと。

 

確かに。

 

家事を誰かがやってくれて、

 

自分の身体だけに専念していられるなら、

 

薬なしに挑戦してもいいかもしれないけど、

 

家事全般やらなきゃいけないんだから、

 

上手に薬は飲んだ方がいいね。

 

薬なしで免疫鍛えようとすることは、かなり贅沢なことだね。

 

と、言うことを学んだ。

DNAの最後の叫び

 

 

最近、

 

『も、もう一人、子どもが欲しいぃぃぃ・・・・・・・・orz』

 

と、わけもなく思いが浮かんで、

 

(3人は大変そうだから欲しいと思わない)

 

小さい子どもを見ると、すごくかわいいなって思ったり、

 

公園で遊んでいる子どもを見ても、

 

とにかく、いいな、いいなばっかり思う。

 

ほんと、突然、爆発的にです。

 

今日、いとうあさこさんの記事を読んでいて、腑に落ちる文章が。

 

『DNAの最後の叫びです。』

 

という行。

 

これは、そういうことかぁ。

 

健康に自信のある人は、もう少し猶予があるのだろうけれど、

 

わたしは、心のどこかでそろそろリミットだと感じていて、

 

DNAが叫んでいるんだろうなー。

 

ろうそくが消える前に、一瞬、ボッと明るく燃えると言いますが、

 

まさに、ホルモンとか卵子とか、妊娠できるリミットを迎えようとしている今、

 

『それーいっ!!』

 

と、心の奥のどっかからDNAの声がする。

 

 

元気に生きることへの罪悪感と憧れ。

 

 

わたしは、大事なことは健康とか、健やかとか、元気とか、そういうことだと思っています。

 

しかし!!

 

心の奥の水面下では、

 

元気いっぱいに生きることへの罪悪感

 

があるようで、

 

つまり、

 

たぶん、心底、あんまり頑張りたくないんですよ。

 

[元気=もっと頑張らなくちゃ]

 

っていう固定観念があるから、

 

[元気じゃない時は、MAXで頑張らなくてもいい]

 

という言い訳を作るために、

 

周りの人に仮病の言い訳をいうだけではなくて、

 

自分にも言い聞かせるために、

 

本当に病気になるんです。

 

だから、

 

元気いっぱいでも、頑張らなくていいし、ダメダメでいいよー。

 

って、言ってみようと思います。

 

私の中の、

 

ものすごく頑張ってみたい気持ちと、

 

頑張らないと申し訳ないような気持ちと、

 

完璧主義なところと、

 

もっとよくしたい気持ち。

 

そんなのが、先天的にプログラミングされているのか、

 

今までの経験で型押しされたのか。

 

周りの友人たちを見ても、本当にすごく頑張り過ぎくらい頑張っていて、

 

色んなものを獲得していて、

 

すごいなーと思うの半分と、大変そうだなと思うの半分。

 

ウサインボルトが、他の選手に思うことは、

 

「もっと速く走ろうとするから遅くなる。最速スピードが出た時に、維持しようとすべき。」

 

だそうだ。

 

これを聞いて、思った。

 

わたしは、今、最速で走っている。

 

維持するようにした方がいいんじゃないか。

 

心のどこかで、これ以上は無理だと思いつつも、

 

もっと速く走っている友人を横目に欲を出して、

 

「もっとスピードをあげなくてはいけないんじゃないか」

 

と、スピードをあげようとするが、スピードをあげようとすれば膝が痛くなる。

 

みたいな状態にいるんじゃないか。

 

もっと羨ましいものを持っている人をみて、実力以上に欲しがって、無理をしようとするけれど、

 

自分の実力というものがある。

 

無理をしすぎると、破たんする。

 

それがわからないから、

 

少しでも余裕を感じたら、もっともっとと思ってしまう。

 

無理なことを知っている体は、故障したり具合悪くなって、

 

「その速度ではゴールまで行けないよ」と、警鐘を鳴らす。

 

結局、自分の実力通りに故障せずに、自己ベストを出したいだけなのに。

 

故障しないってことが大事なことなのに。