積極性が芽生えた。

 

 

 

 

前回の記事の小5での挫折、

 

人生初の、大きな挫折、苦しみの末、

 

ひとつの技をゲットしました。

 

積極性です。

 

運動部で、

 

先生やコーチが『やってみたい人?』

 

と、聞くと、自分が下手くそだろうがなんだろうが、

 

『やりたいです。』と、やるき満々の笑顔で手を挙げないと損だということ、

 

手を挙げた方が、上手くなる可能性があるということ。

 

レギュラーになる子は、図々しさ、積極性を持っていたんです。

 

そして、わたしは生まれ変わり、

 

『やってみたい人!』

 

という先生がいうと、

 

手を挙げて、選ばれたら先にやってみる人になりました。

 

そうすることによって、

 

先生からはやる気のある生徒と思われ、積極的に使ってはもらえるんですけど・・・。

 

(本当に上手くなるとかそういうことは、また別ですけどね。)

 

他の子は、お母さんに、手を挙げなさいって教えられたかもしれないですけど、

 

わたしは、自分でその技術をゲットしましたからね。

 

 

 

 

でも、でも、本当に実技が上手くなる練習に付き添われたり、やり方は、親は教えてくれることは一切ないので、わからなかったし、子ども時代は、自分ではなかなか習得できませんでした・・・。

 

 

 

 

このことが、大人になってからの人生の考え方の癖に大きな影響を与えています。

 

たぶん。

 

うつになる時っていうのも、少なからず、

 

この時のパターンが影響しています。

 

放任で育てられ、勝手に堕ちた穴の中で、苦しみもがいて這い出た経験・・・。

 

 

もしかしたら、もっと前にも、これに似た挫折があったのかもしれない・・・。

 

あ、・・・・・・思い出した。

最初のうつは小5

 

 

人生初のうつは高3だと思っていました。

 

思い出したのと、心のことが少しわかってきて、

 

小5のあれはうつだったんだと気づきました。

 

バレーボール部に入っていて、

 

小学校の外部から来た恐い監督との相性が悪く、

 

恐くて、練習が嫌で、キツくて、何もさせてもらえず、

 

何時間も立っているだけで、

 

失敗したら、太ももを叩かれる。

 

練習が嫌で嫌でたまらないのに、やめられなかった。

 

そして、友達の目が気になって休めなかった。

 

練習に行く前に、異常に食べていた。

 

それをきっかけに不自然な過食になったと思う。

 

ストレスが原因で食べるのが止まらないということを経験しました。

 

練習中も、体がこわばって、全く動かないし、

 

『やりたいやつはおるか?』と、聞かれても、

 

手を挙げられないまま過ごした。

 

今思えば、何故、もっと早く辞めれなかったのかと思う。

 

父が気付いてくれて、上手く辞めさせてくれた。

 

その後、小学校の陸上部や水泳部に入ったら、すごく楽しめた。

 

その頃から、休みの日の時間を上手く使えない期間が続いた。

 

焦燥感。

 

罪悪感。

 

孤独感。

 

自分の部屋でもやもやとした時間を過ごした。

 

楽しいことをする時は、楽しい。

 

嫌な気分の時は、嫌な気分。

 

当たり前だけど、母も話せば聞いてくれるけど、放任主義で、管理もしないし、鈍感なので、

 

管理されて充実したスケジュールを送っていた子たちとは違う生活をしていたと思う。

 

今、思い出しても、合ってなかったし、辛かった、バレーボール部。

 

自分からやりたいと言って、母も見学に来なかったので、気づかれることもなく。

 

得られたものは、失敗の苦い苦い経験。

清原、すこやかへの道

 

 

昨日は、イオンラウンジ(ゴールドカードの人だけが入れるお部屋で、お菓子と飲み物を無料でもらえる場所)で、少し座っていました。

 

そんなことめったに感じないのですが、

 

すっごい久々に、人恋しくなりまして。

 

<人がいる場所にただいるだけ。>

 

それでも、わたしにはリハビリ的観点から満たされる何かがあります。

 

話はそれましたが、

 

ラウンジに置かれているnumberという雑誌に清原和博さんが特集されていて、

 

『告白』というタイトルでインタビュー記事が載っていました。

 

泣いちゃいました。

 

長淵剛と並んで、あんなに強面で最強で・・・みたいな、そんなんやった人が、

 

『なんで俺、こんなになっちゃったんだろう・・・』

 

っていう状態になってしまって。

 

ある意味、わたしと同じで、共感して泣けちゃいました。

 

(わたしは最強ではなかったですが。)

 

例えば、癌になる人もそうだし、清原もそうだし、育児ノイローゼもそうだし、

 

『あれ、なんでこんなことになってしまったの?』

 

というとこに落ちて、

 

今までの努力の仕方では、元には戻れない。

 

むしろ、今までのやりかたで頑張ったら悪化する。

 

これは長年の蓄積の蓋を閉めていたマイナスの感情や、家族のトラブル、そこから決まる生活習慣・・・

 

つまり、ひっくるめて生活習慣病なんだと解釈しています。

 

自分の生活習慣の蓄積から起ったこと。

 

清原さんの続きは、

 

なんか、どうしていいかわからずに、引き籠ったりうろうろしたことを告白していて、どうしたら闇から抜け出せるのかわからなかったし、簡単には抜けられないんだなということがわかったと。

 

そして、やり直すためには、もはや自分が変わってもいいんだという覚悟を持ったということが伝わってくる。

 

弱音を吐いたり少しできるようになってきたって。

 

まず、自分が特別な人間ではないんだ。それでいいんだ。

 

という普通のとこに戻る方を向いてきたんじゃないかなって、思いました。

 

わたしの個人的希望としては、

 

ぜひ、すこやかおじさんになって欲しいです。

 

生まれながらの天然すこやかおじさんではなく、一度頂点まで行って、落ちて、そこから得たすこやかさというのは、

 

頂点に到達するくらい、いや、それより難しいかもしれません。

 

苦しみから抜け出すには、

 

色々な目に見えない心のなかの不要なものを手放し、

 

どんな状況にあっても自分を好きになって、

 

普通であることを許す。

 

人のことも許す。

 

みたいなことが必要になってくるんじゃないかって思うし、

 

いや、全て、そんなことできなくてもよくて、

 

ほんとは、赤ちゃんみたいにそこにいるだけでいいんやって。

 

いや、いや、いや、それはわたしが自分に言いたいことやねん。

 

小林麻央さんや清原さんを通じて、自分を見ているのかもしれません。

 

『そのままの苦しい状態じゃ、痛くて前にすすめない。』

 

もっと縛っているものを解くにはどうすればいいか、人のことを見ながら自分を見ているのかも。

 

だから、清原さんに、すこやかおじさんになって欲しいということは、

 

自分のすこやかへのあこがれということかな。

 

 

古傷周辺の毛細血管

 

 

 

今日は、超久しぶりにウォーキングをしてきた。

 

帰ってきて、ふと、足を見ると、

 

子供の頃に犬に噛まれた膝の横の傷の周辺が、

 

赤紫の毛細血管で色が濃くなってる。

 

さすったら色が薄くなる。

 

 

 

 

 

隣の犬に噛まれたのは、

 

もう30年前のこと。

 

家の外に出てウロウロしていたら、

 

犬が走り出してきて、ガブリ。

 

それをひとつのきっかけとし、

 

隣の家との折り合いが悪くなり、

 

結果的に隣の家の家族は引っ越した。

 

お尻にぶっとい注射を刺された。

 

狂犬病の注射かな。

 

隣の奥さん、うちのおばあちゃんにお店で偶然会った時に愚痴っていたらしい。

 

うちに酷いこと言われたって。

 

それを聞いて、そのことを父に言うと、

 

それを聞いて、父が怒った。

 

ということがあったな。

 

毛細血管が色が濃くなったらどうすればいいのかな。

 

さすっておけばいいのかな。

 

子どもの頃の傷やからというて、

 

簡単に治って終わりじゃないんだな。

 

傷口きれいになってたのに。

 

今頃になって、周辺の血行が悪くなってるんかな。

 

思い出も整理して、流したり、忘れたりしたいもんだ。

 

いや、認知症になっても昔のことは忘れないらしいから、

 

忘れないのか。

 

今の想い出になりようのないしょうもないストレスを、

 

どんどん流していけばいいのかー。

 

 

 

 

 

古傷周辺の毛細血管に気付いて、

 

そんなことを考えました。

自分を大切にするためのキッカケが向こうからやってくる

 

 

 

おばあちゃんに言われていました。

 

『結婚したら我慢せんといかんことばっかりやから、結婚するまでに贅沢しといたらええ。』

 

って。

 

自分は、結婚しても好き放題しまくりのおばあちゃん。

 

(おばあちゃんは特別ラッキーな旦那と結婚しただけだとか。)

 

『あんたは男兄弟がいないからおとんぼすぎるんじゃ』

 

(おとんぼは方言で、末っ子という意味ではなく、苛め抜かれてないからほんわかしていて擦れてなくてドンクサイという意味。)

 

百万回そのようなことは言われました。

 

世の中甘くないのかな。

 

結婚したら大変なのかな。

 

 

 

 

 

月日は流れ、

 

 

 

 

 

結婚してから、

 

無理をする生活が始まりました。

 

いい子ちゃんぶって、頼まれてもないのに、苦しむ生活。

 

例えるなら、真夏にニット帽を被って、服の上にカッパを着て、日差しのした、

 

暑いアスファルトの上をランニングしているような生活です。

 

いつでも、水着に着替えてプールで遊べば涼しかったのに・・・。

 

 

 

しかし、

 

時々、自分を大切にするためのキッカケっちゅーもんが向こうからやってくるんです。

 

一度目は、めちゃくちゃお人好しで優しくて高収入で気が合う人に求婚されたこと。

(いやいや、わたし、結婚してるから不倫になりますやん。)

 

なんか、超マジメだし、離婚する方が損な気がして、その魚は逃しました。

 

そして、

 

二度目は、心身の爆発。体中が痛くて、イライラして、尋常ではない状態。

 

もう、ハリセンで叩いてたんでしょうね。無意識がわたしのことを。

 

『おーい、おーい』

 

って気づくまで。

 

『治らない病気にはなりたくない。』

 

そう思い、心を入れ替えて、やっと、方向転換することができました。

 

とても、

 

自分が嫌いになってた。

 

無理してた。

 

罪悪感や、不安や、嫉妬や・・・、マイナスの感情の壺の蓋が空いて、爆発です。

 

わたしの場合、

 

1番目のキッカケで、優しい相手に再婚で乗り換えても、あまり変わってなかったかもしれません。

 

むしろ、優しい相手に捨てられないように、前よりも努力してしまっていたかもしれません。

 

単純に、

 

自分を好きになること、

 

自分を楽にすること、

 

人にけなされても、反省しないで、『ほっとけ、くそー』と思えること、

 

常識にとらわれないこと、

 

自分を大切にすること、

 

親を許すこと(これは、上手く言いにくい。上辺でリスペクトする的な話ではなく、親のことがある意味どうでもよくなること。親をほっとけること。)

 

そんな、今までとは違う方向に角度を変えました。

 

長年の積み重ねで、少しでも方向がずれたら、進んで行く道、出会う人、通過点が変わってきます。

 

違和感があると、

 

魂が、『ちゃう、ちゃう、ちゃーーーーーーう!!!!!!!』って、

 

叫んで、ずれが治るまで叫んでハリセンで叩いてくる(心身の体調が悪くなる)。

 

親友も、

 

結婚したら海外旅行に行けなくなるからと、独身時代海外旅行に行きまくり、

 

出産したら海外旅行に行けなくなるからと、結婚してから海外旅行に行きまくり、

 

結局、出産しても海外旅行に行っている。

 

という、やはり、

 

『いや、もうあんたなんかただの使用人になるんやから、自分を大切にしたらアカンよ。』

 

と言われても、長続きしない。

 

でも、不思議なことは、

 

『自分を押し殺して長年家族に仕えてきました。』

 

という人で、けっこう長生きして体が丈夫で元気な人がいること。

 

心身共に無理しても、壊れない人もいるもんだなー。と、思うと同時に、

 

わたしが、もっと奥のことをわかってないだけなのかな?と、思ったり。

自己中心的生き方で病気が治る仕組み

 

 

 

はちゃめちゃな小さい子どもの頃は、

 

社会に適応して生きるために、

 

順番を守ったり、譲り合うことを学ぶ必要があります。

 

だから、

 

自己中心的ではダメという言い方になるかもしれませんが、

 

社会のルールを守った上で、

 

あえて、

 

自己中心的に生きるというのは、とても身体にいいことであると思います。

 

それは、自律神経と免疫機能への影響という観点からです。

 

『自分が何者かということをはっきりさせて、外部の悪さに対して、適切に対抗する。』

 

それが免疫機能の働きだとしたら、

 

その免疫機能が、今は働く時、休む時、順番に出たり入ったり、

 

そのリズムがうまく行くということが自律神経の働きで、更には、ホルモンも分泌されたり制御されたりしています。

 

つまり、

 

自己中心的であると、自分が何者かよくわかり、敵や不都合が何かわかるので、

 

上手く自律神経、免疫機能、ホルモンが過不足なく仕事をしてくれるようになるのだと解釈しています。

 

癌が自然治癒したという人の中には、

 

自己中な性格になることをすすめている人が多いのは、そういうからくりなんだと思います。

 

他者の利益のために頑張るようになると、

 

自分のせいで他人に不都合があると、自分で自分を責める。

 

とっても自分の身体に悪いことですよね。

 

免疫機能が自分を攻撃する状態と同じです。

 

免疫機能は、本来、自分の身体を守るためにある軍隊です。

 

他人を守るためにある軍隊ではありません。

 

間違っても、自分を攻撃するなんてナンセンス!!!

 

特に、お母さんになった人は、

 

自分の子どもは自分以上にかわいい存在となることが多く、

 

自分を犠牲にしても子どもを守ろうとしたり・・・。

 

そんな時に、更に子どものためだと、

 

人に嫌われることを恐れ、

 

人にいいように、いいように機嫌を取っていると、

 

・・・・・・。

 

ブッブー×  

 

 

おばあちゃん行脚

 

 

おばあちゃんとの想い出。

 

とてもおしゃれで、若作りで元気だったおばあちゃん。

 

一緒に出掛けると、

 

道中、知り合いでも見知らぬ人でも長話をする。

 

バスから降りて、バス停から家に帰る間にも、

 

庭で作業をしている知り合いのおばちゃんに話しかけて、

 

孫の自慢

 

人の悪口

 

褒めてもらう

 

を長々として、先に進む。

 

私が思うには、

 

なんと図々しく厚かましい存在か。

 

たぶん、近所の人にもかなり迷惑がられていたんだろうなーと、今となっては思います。

 

一方、お世話好きだったので、師匠のように慕う人が多かったという面もあり、

 

でも、話しは長いし押しつけがましいし、人の悪口も半端ないから、

 

付き合いきれないと思い、距離を置こうと頑張っていた人も多いと思います。

 

わたしが、

 

『やってしまったかな?』って、ちょっとしたことで、クヨクヨしていても、

 

「上等よ。」「あんたはかわいい。」「あんたは特別。」「あんたは賢い。」

 

と言って、姫のように扱ってくれました。

 

何も自慢するとこなんてない、平凡な子だったのに、

 

話を盛って、将来こうなるという、なってもない展望を(例えば、この子は医者にするんだとか)人に自慢しまくり、

 

わたしがちょっと人に迷惑をかけるようなことをしても、

 

OK、OK、OK、OKを出しまくりでした。

 

人に迷惑をかけるのはOKで、

 

でも、人に認められる人になるように、

 

(成功的観点から)失敗しないように、呪文のように、こうなって欲しい、

 

こうあるべきということをいい続けていました。

 

進学すべき学校、結婚相手の条件、手に職をつけておくべき(いつでも稼げる)、

 

ふってもふられるな。でも、相手を不幸にしたら罰が当たるから、自分が損するくらいで男女が別れるほうが、得。とにかく、モテろぉぉぉぉ~!!!!!!!!!

家の中はキレイにしておけ、余分な荷物は持つな。捨てろ。

 

それが、ばあちゃん哲学。

 

今考えたら、呪いがかかっておったわい。

 

その呪いも解いてよい時がきたようです。

 

自分にあった考え方で生きていいと思う。