許せないことの意味。
例えば、『父を許せない』というのがあったとして、
その影響で、自分の性格が苦しいものになっているなら、
『今すぐ全部許すから楽にしてくれー』と、思って、
どんなに感謝の気持ちを述べても、
楽にはならない。
『許せない』っていうのは、
例えば、
『話しかけても無視して家を出てパチンコに行く父が嫌だった。』
という、一つのエピソードがあったとして、
『父よ、全部許すわ。』
と、ざっくり許しても、
幼い頃に抱いた感情、
『子供が話しかけた時、ちゃんと聞く大人になった方が素敵』
『パチンコに行くと身を破滅する』
というのがあって、大人になってもずっと持っていたとすると、
『子供を無視すること』
『パチンコをすること』
は許せてないまま。
そうすると、
自分が子供を無視することができないし、
してしまったら罪悪感があるし、
している人を見ると、嫌悪感を感じる。
パチンコも然り。
そうすると、苦しい。
だから、
『子供が話しかけたら、大人はきちんと聞くと、子どもは嬉しいものだし素敵だけれど、そうできなくてもよい』という許し、
『ギャンブルをしてもよい』という許し、
そういう許しをゲットして、ひとつずつ、楽になっていく。
けっこう、その自分が何を許せていないかに気付けなかったり、
自分が不快な感情を抱いていないことにする癖があったり、
なかなか、難しいですよね。
でも、「あれ、何か嫌だなー」と、感じたら、
そのシチュエーションや人の行動に、許せていないことがあるのかも。
そして、それが自分を縛っているかも。
許すとは、そういう意味であり、
まず、人を許すのは、できてしまえば簡単。
でも、自分を縛っているルールっていうのは、自分で当たり前と思っているだけに、
縛りを気付いて解くのは偉業です。
必要なものは全て『ある』ということを感じた日。
お盆を過ぎたけれど、
実家の集会。
両親と、うちの家族と、妹の家族が集まった。
去年は、
父が臍を曲げて、集合前に炎天下の中、徒歩で消えてしまうという事件が起こり、
悲しくて仕方なかった。
しかも、妹がキツく感じて、
妹が嫌だし、
旦那とも家を出る前に喧嘩して。
そもそも、旦那と喧嘩していて、遅れそうになって、
そのことを母に電話して、それを聞いた父が参加するのが嫌になったんだろう。
全てが嫌だった。
『なんでこんなになっちゃったんだろう。』
って、苦しい日々だった。
少しずつ復活して、
心の持ち方をトレーニングして、
元気になってきたわたし。
見える風景も変わってきた。
今日は、
なんだ、わたしが幸せになるために必要なものは全てあるんじゃん。
ということに気付き、
既に十分幸せである。
と、感じた。
それだけ。
十分に幸せ。
ありがとうございます。
一年間、おのころ心平さんや心屋仁之介さんのブログや書籍で、
どうすれば上辺だけではなく、
基礎からやり直せるか学び、
自分に合ったやりかたを実践してきた。
そしたら、
他人がどうとか関係なく、
自分が子供の頃から幾重にも塗ってきた心の壁の分厚いペンキを全部剥がして、
今は、好きな色を塗ることが出来てる。
わけがわからなかったことが、わかってきた感じがする。
たくさん泣いて、たくさん苦しんだけど、
そうしないと、崩せないことや、自分が許せていないということに気付けなかった。
それは『ない』わ。
学生時代は似た者同士の親友でも、
育児において、
お互い、似た者同士とは限らない。
むしろ、似た者同士で仲良しだったからこそ、違いに驚いたり、受け入れられなかったりする。
子供の行動に甘いか、厳しいか、
お菓子を食べさせるか食べさせないか、
子供同士のケンカの仲裁の仕方、放置の限度・・・、
そりゃそりゃ、
それは『ない』わ。
になって、当然なのである。
だから、「それはないわ。」と思われることをストレスと感じたり、
「それはないわ。」と思う相手の価値観にストレスを感じるならば、
心地よく付き合うのは難しい。
また、こちらが許せても、相手が同じように許せるかどうかは別である。
学生時代からの親友と子連れで遊んで、
モヤモヤするのは当然のこと。
それは『ない』わ。は、感じるのも感じられるのもおかしいことではない。
存在給とお盆と元気。
存在給は「戻す」もの。
と、心屋さんのブログに書いてあり、
腑に落ちた。
最近、ぐいぐい存在給が戻ってきている。
そして、
元気も、『気』を戻すこと、と、おのころさんのブログに書いてあった。
親からもらった元気のこととか、お盆に家に帰ることにもそういう意味があるとか、
書いてあり、
何か、偶然ではあるけれども、この二つの記事を読んで、
色々あって、愛されてないような状況の人や場合もあるけれども、
そもそも、
人ってとても愛されているもので、
それが、色々おかしくなって、
頑張らなくちゃ、とか、愛されてない、とか、勝手に思い込んで、
自分の元気や存在給が減っちゃってるところを、
不自然に入った力を抜いて緩めることによって、
受け取るべきものを受け取り、
自分の『気』や存在給を元に戻そうと思った。
頑張るんじゃなくて、元に戻すだけで、元気になるし、
存在給が上がっていくんだー。
すごい。
貧乏脱出の物語。
子供の頃、一軒家に住んでいたし、
そんなに貧乏ではなかったのですが、
ある意味、貧乏だった。
父親がギャンブルにハマり、
母を殴ってお金を持っていく。
姑も強烈な意地悪な人で。
母の育児では、
私と妹は、十分な生活習慣も身に付かず、
宿題をする、毎日お風呂に入ってシャンプーをする、歯磨きをする・・・、
きちんとは出来てなかったです。
前回も書きましたが、
大人の板挟みや家庭のストレスで、
妹には全く優しくなく、意地悪をしまくり、
申し訳ないことをしたと思います。
妹が小学校でいじめられていたのも、
わたしのイジメが原因で自信を無くしていたからと言われても、
そうなのかもしれません。
大人になり、
妹は、いい相手と結婚をし、オシャレをばっちりきめこんでいる。
私もそれなりに。
ある種の、貧乏脱出に成功したわけで、
・・・・・・。
それでも、過去の自分を愛せるのか、
もし、そのままの自分でも愛せるのか許せるのかという問題。
いや、しかし、妹に、『お姉ちゃんはとても意地悪な存在だった』と、
刷り込まれて、
優しいお姉ちゃんになることを要求されている部分もある気がする。
昔のわたし。
子供の頃のわたしは、
ガサツで、内弁慶で、家の中では妹をいじめていて、
お風呂も嫌いだし、勉強もしない子でした。
学校で仲間外れにされたこともあるし、
色が黒くて、かわいくないと、思っていた。
たぶん、両親も容姿がかわいくない子だと思っていたんだと思う。
髪もボサボサで、おしゃれもしないんだから。
うちのおばあちゃんだけ、
『あんたはなんか色気があるんよ。大人になったら急にきれいになるよ。子供のうちはこれくらいでいいんよ。』
と、自信満々に言いきっていた。
大人になって、モテるくらいには、なった。
そりゃそうだ。
誰でも、メイクして似合う服着たら、モテる。
わたしがガサツで美人でないことが、父は気に入ってないように感じていた。
わたしが素敵な姉でないことが、妹は気に入ってないように感じていた。
母は・・・?
わたしは、
そんな生まれながらの洗練されていない自分を愛せていただろうか、
許せていただろうか。
許せていなかった。
勉強して、そこそこの大学に入って、
メイクとオシャレをし、習慣も美しくなり、別人になった。
メイクをせずには外に出られない時期があった。
社会人になっても勉強をやめられない時期があった。
「食べ方が汚い」と(妹は私には言えないが、)
母や妹自身の子供に言いながら、
間接的に言ってくる時にイラッとする自分がいた。
食べ方が汚いというのも、本当に汚いのではなく、妹の美学に反しているということ。
たぶん、
妹は、幼い頃の、わたしのイジメが許せないでいる。
そして、遊ばなければいいのに、
子供をがそう言うからと言って、
遊ぼうと言う。
わたしも、子供が遊びたがるからと言う理由で、
応じる。
一緒にいると、不快。
間接的な嫌味をよく言うこととか、何か嫌だ。
大人になってから、前にも謝ったことがある。
謝り続けるのは嫌だ。
もう謝らないし、わたしの責任だけではない。
あの当時のわたしは、両親の振る舞いや、家族の中での、エネルギーの流れや、
家族の中でのストレスや、色んなものに動かされていて、
自分で選択することもできないし、何の抵抗もできなかった。
大人になるにつれ、妹に優しくなったけれど、
妹だからと言って、尽くさなければならないということはない。
『話を親身に聞いてくれない』と責められたりするのも、嫌なのだ。
人でなしと言われても、嫌なものは嫌だし、
嫌な言動のシャワーを浴びるのも嫌だ。
嫌だ、嫌だ。
今日はやっぱり嫌だった。