清原、すこやかへの道

 

 

昨日は、イオンラウンジ(ゴールドカードの人だけが入れるお部屋で、お菓子と飲み物を無料でもらえる場所)で、少し座っていました。

 

そんなことめったに感じないのですが、

 

すっごい久々に、人恋しくなりまして。

 

<人がいる場所にただいるだけ。>

 

それでも、わたしにはリハビリ的観点から満たされる何かがあります。

 

話はそれましたが、

 

ラウンジに置かれているnumberという雑誌に清原和博さんが特集されていて、

 

『告白』というタイトルでインタビュー記事が載っていました。

 

泣いちゃいました。

 

長淵剛と並んで、あんなに強面で最強で・・・みたいな、そんなんやった人が、

 

『なんで俺、こんなになっちゃったんだろう・・・』

 

っていう状態になってしまって。

 

ある意味、わたしと同じで、共感して泣けちゃいました。

 

(わたしは最強ではなかったですが。)

 

例えば、癌になる人もそうだし、清原もそうだし、育児ノイローゼもそうだし、

 

『あれ、なんでこんなことになってしまったの?』

 

というとこに落ちて、

 

今までの努力の仕方では、元には戻れない。

 

むしろ、今までのやりかたで頑張ったら悪化する。

 

これは長年の蓄積の蓋を閉めていたマイナスの感情や、家族のトラブル、そこから決まる生活習慣・・・

 

つまり、ひっくるめて生活習慣病なんだと解釈しています。

 

自分の生活習慣の蓄積から起ったこと。

 

清原さんの続きは、

 

なんか、どうしていいかわからずに、引き籠ったりうろうろしたことを告白していて、どうしたら闇から抜け出せるのかわからなかったし、簡単には抜けられないんだなということがわかったと。

 

そして、やり直すためには、もはや自分が変わってもいいんだという覚悟を持ったということが伝わってくる。

 

弱音を吐いたり少しできるようになってきたって。

 

まず、自分が特別な人間ではないんだ。それでいいんだ。

 

という普通のとこに戻る方を向いてきたんじゃないかなって、思いました。

 

わたしの個人的希望としては、

 

ぜひ、すこやかおじさんになって欲しいです。

 

生まれながらの天然すこやかおじさんではなく、一度頂点まで行って、落ちて、そこから得たすこやかさというのは、

 

頂点に到達するくらい、いや、それより難しいかもしれません。

 

苦しみから抜け出すには、

 

色々な目に見えない心のなかの不要なものを手放し、

 

どんな状況にあっても自分を好きになって、

 

普通であることを許す。

 

人のことも許す。

 

みたいなことが必要になってくるんじゃないかって思うし、

 

いや、全て、そんなことできなくてもよくて、

 

ほんとは、赤ちゃんみたいにそこにいるだけでいいんやって。

 

いや、いや、いや、それはわたしが自分に言いたいことやねん。

 

小林麻央さんや清原さんを通じて、自分を見ているのかもしれません。

 

『そのままの苦しい状態じゃ、痛くて前にすすめない。』

 

もっと縛っているものを解くにはどうすればいいか、人のことを見ながら自分を見ているのかも。

 

だから、清原さんに、すこやかおじさんになって欲しいということは、

 

自分のすこやかへのあこがれということかな。