人に迷惑をかけない美しさ

 

 

なるべく人に迷惑をかけない人って、

 

美しい所作なんです。

 

ファミレスでも、帰る前に、ウェイトレスさんが片づけやすいように、

 

ささーっと食器を取りやすい位置にまとめて、机に汚れがあれば、ちょちょっと拭く。

 

やりすぎない程度に。

 

例えば、純粋な子どもから見たら、

 

食い散らかしたまま帰るおばさんより、

 

そんな女性がかっこいいし、

 

彼氏とデートとなると、汚く食べ散らかして帰るなんてできっこない。

 

しかし、

 

しかしですね、

 

なるべく人に迷惑をかけない、お手数をかけさせない、

 

が熟練しすぎてしまったり、

 

器用で何でもできるようになると、

 

人にお手数をかけさせられなくなる。

 

迷惑をかけれなくなる。

 

更には、頼まれてもないのに、他人が気分良くなるような言動までプレゼントしてしまう。

 

それって、ちょっと困ったことかも。

 

 

 

 

・・・それが困ったことかも。って思う人ってどんくらいいるだろう。

 

 

 

 

そんな時は、迷惑かけようキャンペーンをするくらいでちょうどいい。

 

あえて、ファミレスの食器を、いじらないで食べ終わったまま帰る。

 

レジで、「ごちそうさま」と言わない。

 

帰り道によったコンビニのレジでも、「ありがとう」と言わない。

 

無駄に笑わない。

 

そんな日があってもよくないですか。

 

『なんか、すっごい社会がよくなるための善行を行ってる。頼まれてもないのに。』

 

って、ある日、気が付いて、その善行も、

 

過去に、社会や親から刷り込まれた、単なるわたしの思い込み。

 

そして、目の前にいる相手が、気分がいい方が良いに決まっているという思い込み。

 

本来は、人は不機嫌でいる権利もあるはずなのに。

 

不機嫌な人を機嫌よくするのは善行とは限らない。

 

『みんながハッピーになればいいのに。』

 

は、エゴなのではないか。

 

ハッピーでも、アンハッピーでも、そんなの本人の自由なのではないか。

 

『アンハッピーな人をハッピーに変えられるわたし、すごい。モテる。』

 

そんな風に、社会でモテるように、刷り込まれた通りの善行をし、

 

良い、悪いを勝手に決めてないか。

 

 

 

 

だから、わたしは、

 

所作が美しくなくてもいい、モテなくてもいい。

 

無愛想でもいい。

 

気が利かなくてもいい。

 

人に迷惑をかけてもいい。

 

人にお手数をかけてもいい。

 

だから、気になることは聞こうと思うようになったし、

 

変えて欲しいことはなるべく希望を言ってみようと思うし、

 

嫌なことをされたら、嫌だと言ってみようと思うようになった。

 

モテなくてもね。

 

いいひとでないと思われてもね。

 

行き過ぎた素敵な生き方は、

 

もはや自分にとって素敵ではなくなってきた。