人生で初めてのenvyと憧れは・・・保育所。
小さい時って、
そもそも、何が良くて何が悪いとか思ってない。
それを証拠に、人の唾も触れるし、汗も触れる。
大人になったら、『あぁー、汚い汚い。』といって、触らないし、触れてしまったら石鹸で手を洗う。
素敵なこと、素敵でないことも、定義はなく、
快・不快が、少しずつ分化していくだけ。
わたしの記憶の中で、
一番最初に感じた、
素敵なこと、素敵でないことは、
何となくですが、
『お母さんは、わたしがお友達と一緒に楽しく遊べているとうれしいらしい。ひとりぼっちだったり、仲間に入れてもらえないとうれしくないらしい。』
という記憶がうっすらと、保育所に入ってからの一番初めの記憶。
そっからは、遠足ではりきって作ってくれた豪華な弁当が重荷になったことも。
『・・・あぁ、誰と一緒に食べていいかわからない。』
そんな時、おかあさんの悲しい顔が浮かぶ。
そして、
わりとしっかりと記憶していることは、
お手紙と年賀状のこと。
保育所で太陽のように明るく人気者だったふうちゃん。
親も知り合いだったため、家も行き来していました。
保育所のお手紙ごっこで、たくさんお手紙がもらえるんです。
それが、羨ましくて、羨ましくて・・・。
家に遊びに行った時に、たくさんの年賀状がお家にも届いてたんです。
わたしは、そういうのがなくて、
お手紙をもらえることって素敵だな。羨ましいな。
って、強く思った。
それは、人生で最初のenvy(ジェラシーではなく)であり憧れでした。
いい意味で、図々しくて、積極的で、
お母さんも、声が大きくて、先生にも慣れ慣れしくて、図々しくて、積極的で・・・、
そして、人気。
狭い借家に住んでいたけれど、いつも、きちっと整頓できていて、
それをうちの父が褒めていた。
泊まった時は、家族全員で湯豆腐。
豆腐が夕飯!!
衝撃的だったけど、
全然、素敵に思えた。
一方、他の素敵女子。
保育園時代からの親友は、
人生初の習い事のピアノで、わたしに負けたことがとても悔しかったのだと、大人になってから教えてくれた。
親友は、上手くならないで、先生にもちょっと意地悪なことを言われていた。
わたしは、そんなことすっかり忘れていて、運動やルックスで負けていて、
それが悔しいなーって思ってたんです。
結局、わたしのピアノも、何になったわけでもなく。
小さい頃、上達しやすかった、先生になぜか気に入られたというだけで。