昔のわたし。
子供の頃のわたしは、
ガサツで、内弁慶で、家の中では妹をいじめていて、
お風呂も嫌いだし、勉強もしない子でした。
学校で仲間外れにされたこともあるし、
色が黒くて、かわいくないと、思っていた。
たぶん、両親も容姿がかわいくない子だと思っていたんだと思う。
髪もボサボサで、おしゃれもしないんだから。
うちのおばあちゃんだけ、
『あんたはなんか色気があるんよ。大人になったら急にきれいになるよ。子供のうちはこれくらいでいいんよ。』
と、自信満々に言いきっていた。
大人になって、モテるくらいには、なった。
そりゃそうだ。
誰でも、メイクして似合う服着たら、モテる。
わたしがガサツで美人でないことが、父は気に入ってないように感じていた。
わたしが素敵な姉でないことが、妹は気に入ってないように感じていた。
母は・・・?
わたしは、
そんな生まれながらの洗練されていない自分を愛せていただろうか、
許せていただろうか。
許せていなかった。
勉強して、そこそこの大学に入って、
メイクとオシャレをし、習慣も美しくなり、別人になった。
メイクをせずには外に出られない時期があった。
社会人になっても勉強をやめられない時期があった。
「食べ方が汚い」と(妹は私には言えないが、)
母や妹自身の子供に言いながら、
間接的に言ってくる時にイラッとする自分がいた。
食べ方が汚いというのも、本当に汚いのではなく、妹の美学に反しているということ。
たぶん、
妹は、幼い頃の、わたしのイジメが許せないでいる。
そして、遊ばなければいいのに、
子供をがそう言うからと言って、
遊ぼうと言う。
わたしも、子供が遊びたがるからと言う理由で、
応じる。
一緒にいると、不快。
間接的な嫌味をよく言うこととか、何か嫌だ。
大人になってから、前にも謝ったことがある。
謝り続けるのは嫌だ。
もう謝らないし、わたしの責任だけではない。
あの当時のわたしは、両親の振る舞いや、家族の中での、エネルギーの流れや、
家族の中でのストレスや、色んなものに動かされていて、
自分で選択することもできないし、何の抵抗もできなかった。
大人になるにつれ、妹に優しくなったけれど、
妹だからと言って、尽くさなければならないということはない。
『話を親身に聞いてくれない』と責められたりするのも、嫌なのだ。
人でなしと言われても、嫌なものは嫌だし、
嫌な言動のシャワーを浴びるのも嫌だ。
嫌だ、嫌だ。
今日はやっぱり嫌だった。